私の安息死研究 遍歴の旅
私は、昨年81歳になり、そろそろ自分の人生の幕引きを考える時期になったことを自覚したために、友人たちと「安楽死を考える会」でも作ろうかと話し合っていた。
その時に文藝春秋3月号の安楽死特集を読んだ。その中で60名の著名人に対して 「安楽死は是か非か」の設問に対してアンケート調査を行った旨の報告があった。 そのアンケートの集計結果によれば、回答者60名のうち33人(55%) が安楽死に賛成、20人(33%)が尊厳死に限り賛成、安楽死、 尊厳死に反対4人(7%)、残りの3人(5%)が選ばずであった。それ以前に朝日新聞や週刊文春などが行った調査でも7割の方が安楽を望んでいるという回答があったと報じている。また、文芸春秋誌が報じた橋田壽賀子氏の「安楽死で死なせてください」という訴えに対して無数といういうほど多数の反響がインターネットであった。その投書でガンなどの老人病で末期の病床にある患者や介護の人々の安楽死で死なせて欲しいという血の出るような訴えに衝撃を受けた。 このため私は本格的に安楽死問題の解決に取組むことを決心して調査を始めた。
約3か月間集中的に安楽死関係の文献に目を通した結果にもとづき、 同年10月に『私の安息死研究に関する経営戦略論』という研究ノーを作成した。数年前に国会議員団が国会へ安楽死法案を上程しようとして人権団体などの反対で廃案になった事情を考慮して、我々の研究対象の安楽死を自己決定権に基づくものとして、他人へ働きかけるものではなく、また他人から干渉されるものではないということを明示するため研究会の名称を『私の安息死研究』と定めた。また、ハンディキャップを負いながら精一杯生きている障害者の努力に敬意を払うと共に、人生を精一杯努力して送った人々の安息のための安楽死を目的とする意図を明示するため「安息死」という名称を考案した。その後、11月に入って、それまでの研究の過程で獲得した知見にもとづき、安楽死研究の第一ステップを認知症対策へ的を絞ることにした。
20017年末から本格的な研究体制を整えるため、友人と語らって「 NPO法人私の安息死研究会」を設立して、研究活動のための舞台を作った。 酒井は理事長に就任したが、 経営学者の酒井や他の理事会の役員全員は経営学者やビジネスマンばかりで、 医師や法律関係者や宗教家など安楽死問題に関係する専門家はいなかった。 このため本格的な研究活動を行うため専門知識をもった然るべき専門家に 会長に就任していただくことを決定した。このため我々は まず橋田壽賀子氏に会長就任を要請した。 しかし92歳の高齢という理由で辞退された。その後、 日本尊厳死協会やダイヤ高齢社会研究財団や長尾和宏医師や 朝日新聞や文藝春秋などへコンタクトして協力を依頼したが、 無視された。 解剖学の権威の養老孟司先生には私たちの研究に興味をお持ちいだいたが、 同先生は人間の死体を専門に扱ってこられたため 人間の死に関しては深い造詣をお持ちだが、 才能と健康に恵まれた同先生の生命力と 安楽死とはしっくりいかないのではないかと 考えているうちに今日に至った。
その間1年半の活動で、私たちは150冊以上の生と死の関連文献を検討した。その結果、安楽死を巡る問題は、死の定義から始まって生命の定義まで医療や法律家を含む様々な専門家の間で議論が錯綜して正解が出ていない事情がわかった(養老孟司『死の壁』)。この混乱状態が「積極的」安楽死がわが国で合法化されていない理由であることを確認した。そしてその一方、我々の「認知症を対象とする私の安息死研究」に競合する意見が日本はおろか世界中のどこを見渡しても見つからないことも判明した。
我々は今までの研究活動のなかで、数々の文献から多くを学んだが、最近学んだ次の文献は新しい視点から我々の知識を補強してくれて大いに参考になった。東京大学出版会が『死生学全5巻』、編集代表(島薗 進・ 竹内 整一・小佐野重利)を出版しており、そのうち『死生学1(死生学とは何か)』のうちの1章「死生学とは何か」(島薗進)、3章「生権力と死をめぐる言説」(大谷いずみ)、10章「死の臨床と死生観」(竹内整一)、『死生学3(ライフサイクルと死)』の10章「死の遺伝子からみた未来」(田沼靖一217頁)らから重要な示唆を得た。その他にも、キリスト教神学者アルフォンス・デーケン教授の『ユーモアと老いの死の妙薬(死生学のすすめ)』)に大変興味を覚えた。その一節は次の通りである。
「老化も死も、生命体の必然的な自然現象である。 自分が必ず死ぬ存在だという認識に立てば、だれでも「生きている」時間の尊さに気づき、少しでも意義のある人生を送りたいと考えるのではないだろうか。人にはそれぞれ個性があり、その人なりの死生観がある。私は自分自身の老いも死も、ユーモア感覚で受止めて、最後まで笑顔と感謝を忘れずに生きたいと願っている」。
デーケン氏の意見の卓越した特長は、ユーモアを積極的に取り入れる点で、これにより深刻な「死」の問題に温もりと心のゆとりを与える効果をかもし出すことができる。
以上の研究で、既報の通り安楽死に関連する諸分野、とくに医学、生命倫理学、死生学の分野で専門家の意見が全然統一なされていないことが明らかになった。この雑多な神学論争で沸きたぎった鍋の中に手を突っ込むことは大やけどを負うことになるので、我々は触らぬ神にたたりなしとして、安息死研究のためには別の道を歩むことに決定した。
その違った道とは、別紙に紹介した「私の安息死研究戦略」である。その骨子は次の通りである。
- 1.生死に関連する団体(医学、法学、倫理学、福祉、人権、宗教団体など) から距離をとり、経営学の視点から独自の戦略論を展開する。
- 2.認知症に対象を絞って安楽死の合法化を目的とする。
- 3.合法化の戦略遂行の前提として次の3つの条件を設定する。
- ①認知症に対して
現在の、脳死=精神死=人間死 というルールを参考にして、認知症=精神死=人間死 という仮説を設定する。
- ②本人が肉体的・精神的に健全な状態にある時に事前指示書(リビングウイル)を書いて、認知症になった時に死にたいという自死の意思を明確にする。
- ③安楽死を
イ.本人が一人で実施する自死・自殺
ロ.第3者が介入する自殺ほう助
に峻別する。
- ①認知症に対して
①当研究会の目的と方針を出版・広報活動により公表する。
②会員(研究員、運営会員、賛助会員)をできる多く集める。目標1万人→100万人。
③認知症になった時に、医師などが本人の希望により注射や致死剤の処方により死なせた場合は法廷に立つことになる。当初の判決は有罪となると予想されるが、この法廷闘争が何百件にもなれば、世評が好転して無罪判決が出るだろう。この帰納的戦略活動により安楽死合法化(仮説の容認)をめざす。
以上の戦略を実行するに当たって、医師会等の抵抗勢力を跳ね返して、100万人規模の会員を集めるため実力者に会長などに就任いただき、同氏らのリーダーシップと影響力でにより戦略目的の貫徹をめざす。このため現在あらゆる手づるを伝って会長など指導的立場の役職に適した方を探している状況である。