「私の安息死研究会」
経営戦略論
- 「私の安息死研究」の戦略を実行する主体として「NPO法人私の安息死研究会」を立ち上げる。
- 当面認知症を対象として、自己決定権にもとづき安息死を合法的に行う方法を研究し、その実現のために活動する。
- 「私の安息死研究」の趣旨、目的、戦略を明確にするため日英2言語の書籍を編集・出版する。
- 「私の安息死研究」に同意・参加する研究員を会員(研究員、運営会員、賛助会員)として募集する。
- 戦略目標である「私の安息死」の合法的認知を達成する手段として、100万人規模の大勢の会員を集める。
- 大勢の会員を集めるために求心力となる影響力絶大の方々に会長などの要職に就任していただく。
- 会員は当研究会所定の書式に認知症を対象とする事前指示書(リビングウイル)を記入する。
- 会員受入れの条件としては、今まで自分の人生を精一杯努力して生きてきて、今や思い残すことはなく従容として死を受け入れる安息死の心構えができていることを前提とする。
- 当法人が行う広報宣伝活動は、研究会活動の趣旨説明と会員募集に限定し、「私 の安息死」の一般化や法制化に関する普及・布教活動は行わない。
- 会員募集の目標を2019年度に1万人以上、2020年度以後100万人以上とする。
- 認知症対象の安息死が認知されれば、さらに対象を植物人間状態など意識がな回復不可能な病気にも適用できるように働きかける。
- 活動が軌道に乗り、財政的な裏づけができれば、会員のためのセミナー、ワークショップなどの催しを開催する。また、認知症が予感される会員の心のケアのために臨床宗教師やチャプレンと契約を結んで医療現場へ派遣するなどのサービスを提供する。
- 財政的な余裕が出来れば、障害者団体、介護施設やその他の福祉&研究団体へ助成金を提供する。
前提として
以上のような戦略論には次の4つの前提条件が下敷きとなっている。
- 生死の問題はあくまでも個人により様々な見解があり、 個人の判断は尊重されるべき性質のもので、他人が干渉すべきではない。 すなわち個人の自己決定権を尊重する。 このため研究会の名称を「私の安息死研究」とする。
- 死という荘厳な問題を慎重に考えず発作的に安易に死のうとする 「気楽死」や家族の苦しみなどを配慮せず、若くして命を捨てようとする 「利己死」は当研究の対象ではない。高齢期になって健康に衰えが出てきたが、 それまで自分の人生を精一杯生きてもはや思い残すことがない、 家族の了解もとった、 今は潔く人生の幕を閉じて休息したいと願う高齢者の死に方を「安息死」と名づける。
- 世間の「死」に関する道徳的、 倫理的常識が安息死の合法化の障壁となっているので、 我々の見解に同意する仲間・賛同者をできるだけ大勢集めて、 「数の力」を味方にして、広報活動により世間の常識へ影響を与え、 安楽死に対する評価を好転させる。
- アリストテレスたち哲学者は、 人間を動物たちから分けるのは理性と自己意識の存在であると規定している。 認知症患者には理性(知性)も自己意識も無い。 そうであれば認知症患者は動物並みであって人間ではないということになる。 脳死は精神死であり、人間死として認められているため臓器移植が合法化されている。 完全認知症は知性も自己意識も無い精神死である。 動物並みだから人間死である。 したがって人間とは認められない認知症患者を死なせても殺人にはならないはずである。
手紙
法務大臣 様
令和チコちゃんシンクタンク
NPO法人私の安息死研究会
代表 令和村 チコ太郎
拝啓
早春の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、大臣は先般の社会福祉協議会の会議で、「死にたい人には死んでもらえば、本人も満足だし、政府も医療費や年金を節約できて、一石二鳥である」と発言されて、マスコミはじめ大勢の方から非難されたため、前言を取り消して謝罪をされました。しかしこのお話の趣旨は、私たちNPO法人私の安息死研究会の活動目的そのもので、何ら謝罪の必要はないと考えます。
私たちの見解では、大臣の発言に非難が殺到したのは大臣の発言が3段階か4段階の理論的研究層をすっ飛ばした発言だからだと考えます。現在、今の時点で刻一刻大勢の患者ががん治療でぼろぼろになって末期の病床で苦しんでおられます。しかしこのような臨床現場の悲惨な状況が政治レベルへと届いていないのではないでしょうか。このため大臣が以上のような発言をされてもその真意が伝わらないのです。ただしご安心ください。現場の状況の実体調査をして、その結果を分析整理して、理論化し、具体的な解決策へまとめ上げて、それを行政レベル・政治レベルの提案として提出する準備をしている研究者グループが存在しています。NPO法人私の安息死研究会という私たちの研究グループです。私たちの研究の状況についてはHP(https://sabb-d.com/)をご参照ください。
上記のように悲惨な末期の病床で大勢の患者が心から死なせて欲しいと願っています。それなのに死ねないという状況は、人権蹂躙ではないですか。民主国家日本では国民の全員に幸福に生きる権利、基本的人権を憲法で保証しています。それにもかかわらず、この苦悩で呻吟している国民の惨状は、憲法で保証している幸福な生活とは正反対の不幸極まりない状況ではないですか。QOL(生活の質)という医療や福祉の専門用語があり、幸せな生活の状態を意味します。国民に幸福に生きる権利を保証しておきながら、不幸を防止することなく現状を放置している行為は、憲法違反という他ありません。もし5歳のチコちゃんがこの事実を知ったら、"バカ言ってるんじゃんじゃないよ!"と間違いなく怒鳴られます。
ともかく以上の考察にもとづいて問題を整理してみましょう。大臣が「死にたい人には死んでもらえば、本人も満足だ」と述べられたにもかかわらず、現状では簡単に死ねません。なぜ死ねないのですか。その理由は簡単です。刑法202条自殺ほう助罪があるからです。末期の患者や家族が嘆願しても医師が注射をしてくれないのは、刑法202条のせいです。でも考えてみるとおかしいですね。刑法とは、政界や経済界で悪いことをする者を罰するためにできた法律で、性悪説に基いて出来ています。しかし医師が家族に頼まれて見るにみかねて注射をするとしたら、悪意からではなくて善意からです。善意から出た行為を性悪説の刑法で裁こうというのは、明らかな矛盾で越権行為です。
このため私たちは日本国憲法が保証する幸せに生きる権利に基き、死にたい時に自由に「死ぬ権利」を実行する行為を合法化することを日本国政府に要求します。そして、国民のだれかがいよいよその時が来たことを知った時、また人生でやるべきことすべてやって思い残すことがないと悟った時、また高齢になって病気がちになり、これ以上生き長らえると家族や世間に迷惑をかけるばかりだと悟った時に、気兼ねなく死ぬことができる「死ぬ権利」を要求します。それは、死ぬべき時が来たと自覚した時に、①高年齢(後期高齢者)を証明する身分証明書、②自分の人生を振り返って認めた自分史、③健康保険証、の3点の書類を薬局へ提出すれば、自由に永久睡眠剤を購入できる権利です。
ここでチコちゃんのために説明しますが、憲法改正とか安楽死法の制定といった大上段に構えた問題設定をすると、パンドラの箱を開くように様々な意見や反対が飛び出してきて収拾がつかなくなります。したがって問題点を「一国民の切なる願いにより、良心的な医師が、その人を苦しみから解放するために注射をして死に至らしめる献身的な善行を行った時に、この好意にもとづく行為を積極的に評価して、刑法202条自殺ほう助罪の適用を免除(違法性を阻却)し、刑事責任を問わない」ことに限定し、問題を刑法202条の適用範囲の一部修正だけに絞り込みます。もし安楽死などの問題に一言でも触れると飛んでもない火傷をして頓死することが必至ですから、慎重に自制する必要があります。
ここで大臣に提案です。以上の刑法202条の適用範囲の一部修正につき閣議でご決定いただき、その結論に対する賛否を国民投票で問うことにしていただけませんか。このような刑法の適用修正が世界に先駆けてわが国で実現すれば、いつも世界の後追いばかりをやってきた精神的後進国の日本の面目をほどこす好機となると考えます。チコちゃんに叱られる前に、ご理解とご支援をお願い申し上げます。
敬具